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番外編 阪神西宮商店街
〜消えた「くぐつくん」〜 (2013年10月)
西宮美術研究所は、阪神西宮駅南の商店街の中にある。商店街の中にある美術専門の塾という性格上、商店街の催し物によく駆り出されていた。年間に何度か催される小さなお祭りに、似顔絵コーナーを持たされたものだ。
似顔絵はそう誰にでも描けるものではないので、比較的優秀なOBを集め、私も含め4〜6人程度で似顔絵を描く。商店街の中で買い物をしたレシートを持ってくると、我々西宮美術研究所のメンバーが、5〜10分くらいで似顔絵を描くのだ。そんな事を5〜6年、いや、もっと長くやっていたかもしれない。
そんなある日、商店街の役員という人が研究所にやって来て、「商店街の役員になってもらえないか?」と依頼をしてきた。役員として居てもらった方が、何かと便利だということらしい。
一つ問題があった。役員会が開催されるのが、毎週水曜日の夜だと言う。水曜日は研究所の合評会の日で、終わってから役員会に行くとなると、9時半を過ぎることになる。それでもいいのか、と聞くと、「一応毎週集まるのだが、毎回重要な案件があるわけではないので、来れる時に来てもらえれば良い」という返事だった。それでは、ということでともかく役員になることにした。
その後、何月だったか記憶にないが、新旧役員の引き継ぎ会のような飲み会に誘われ、役員ということになった。
私の仕事は、当初からお祭りの似顔絵に決まっているようなものだったから、そう頻繁に役員会には出席しなかった。それでも、十数回くらいは出ていると思う。
そして、似顔絵以外に大きな仕事を2つ引き受ることになった。
ひとつは、「くぐつくん」だ。
商店街は、阪神大震災で大きな被害を受けており、その後なぜかアーケードも撤去してしまっていた。アーケードがないと商店街という気がしない。そこで、なんとか商店街を盛り上げようと色々な案が出された。
そのひとつが、「傀儡(くぐつ)師」だった。
今は遠くに引っ越された「勝部」という呉服屋さんが、熱心に西宮と戎神社近辺の歴史を研究されて、この西宮は「くぐつ師」の発祥の地らしいということだった。
そこで、その「くぐつ」をどうにか出来ないだろうか、という話になった。
どのように話が動いたかもう覚えていないが、私が「くぐつ」を基にしたキャラクターを作ることとなった。
勝部さんに、たくさんの古い「くぐつ師」の絵のコピーを資料としてもらい、けっこうがんばって試行錯誤をして生まれたのが、このページの冒頭に掲げた「くぐつくん」だ。資料を調べてみたら2005年に描いている。
当初は、Tシャツにしようというような話も出たが、結局何にも使われないまま、商店街のHPの片隅に置かれることになった。
もうひとつ、私が引き受けた大きなプロジェクトがある。
その頃、出来上がりかけている大きなマンションがあった。もちろん現在は出来上がって多くの人が住んでいる。その新しいマンションのオープンの時に、集会室(商店街の集会室として使っていいという約束になっているらしい)を使ってコンサートをする、というものだった。
当時私は、10〜20人程度の合奏団の指揮者もしており、その合奏団を使って、けっこう本格的なクラシックのコンサートをやろう、ということになっていた。そのつもりで曲目も決めて、練習をしていた。
予定されていた日が近づいた頃、具体的にどうすればいいかを役員会で聞いてみると、「あ……」と言う返事。もしかすると早い段階で集会室は使えないことになってしまったのか、完全に忘れていたとの事。
何となくそんな予感があったので、別に怒りもせず「わかりました」と、了解をしたのだが、役員の何人かは気まずい思いを持ったらしく、それ以来役員会とは、少しずつ疎遠になって行ったような気がする。
そんな事があってしばらくした頃、夕ご飯を食べようと近くの中華料理屋に入ると、中に商店街の役員と新しい顔ぶれらしい役員10数人がビールを飲んでいた。どうやら新旧役員の引き継ぎ会のようだった。旧役員(?)の私には何の誘いもなく…。
あれからも、毎年何回かの小さなお祭りイベントは開催されているが、以来、似顔絵の話は一切無くなった。そして、商店街のHPにだけ残っていた「くぐつくん」も、いつのまにか消えてしまった。
2013年10月 大西弘幸
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