第4回 精神的老化 (2002年7月)

 肉体的な老化は避けることができない。しかし、精神的な老化は避ねばならない。ことに美術や芸術に携わる人間は老化してはいけない。芸術とは、考え続ける分野だからだ。つまり、常にその時々をしっかりと見据えていなければいけない。どこかで立ち止まってはいけないのだ。立ち止まってしまったものを芸術とは呼べない。それは精神的な老化なのだ。
 別に、やたらと新しい物を追いかけねばならないという意味ではないが、現状に疑問を持たずに浸っていてはいけない。どんなすばらしいものを見たとしても、自分がどんなすばらしい作品を創ったとしても、もっとすごい物があるはずだという神経が、創作していくということである。その神経を持てないようでは創作活動などしてはいけないのだ。
 今、若い世代にやたらとはやっていることがある。髪の毛をアメリカ人のまねをして(日本はいまだに戦後なのかと思ってしまうが)茶色に染めるとか、耳だけならまだしも、鼻や唇にまで穴をあけてピアスをするとか、理解に苦しむ変なファッションをしてみるとか、などなど。
 やっている内容が良いとか悪いとかではない。問題は、租借をせずに受け入れてしまうその批判精神のない行動なのだ。それぞれ個人個人が、自分の発想で不思議なファッションをしたり、変なものを身につけたりしてみるのは、若さであり、柔軟な発想であり、頭の柔らかさだと思う。ところが、大勢が同じような変なファッションをし、同じ所に同じピアスをし、おなじような髪の色や状態にしようとする。 とくに一部の高校生あたりが、まるで規則に縛られているかのように従っている。 そこには柔軟さも若さもない。硬直したような融通のなさ。そこに見えるのは、言うなれば「老い」である(こんな言い方をすると、良い老い方をしている人にさえ失礼かもしれない)。具体的なその内容は、若者がやっていることで老人はしていないから、一見若さであるかのように思えるが、その行動パターンといえば、仲間はずれにならないように新しい演歌のカラオケを練習したり、ゲートボールのルールを覚えるのと何の違いもない。 そこには、自分にとって面白いことは自分で見つけようという精神が感じられない。これを老化という。近ごろ老け込んでいる若者がいかに多いことか。
 頭が老化していない人は、肉体的な、つまり外面的な老化に対して平気である。30になっても40になっても化粧しない人がいる。内面が老化していないことの現れだと思う。まったくその逆で、化粧をする高校生をかなり見かける。ほんとうに頭の中が老化してしまった若者が多いんだとしみじみ思ってしまう。

2002年7月 大西弘幸

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