第3回 『今を見るということ』
〜2002年「両洋の眼」展に思う

 西宮に住む私は、今から7年前の1995年に阪神大震災に遭遇した。
 それから1年ほど過ぎた頃、西宮のある画廊で「震災作品展」といった内容の展覧会が開催された。そこには、壊れた瓦礫風のものを張り付けた作品、破壊を象徴的に表現するために、破れた紙を張り付けた作品、震災当時の様子を思い出して、あるいは報道写真を見て描いた絵、人の悲しむ様子を描いた絵など、いろいろな震災を表現した作品が並べられた。その画廊のオーナーは、「震災のすさまじさ、つらさ、悲しさなどを訴えたい」と言う。
 私は実際地震にあったので、震災のすさまじさ、つらさ、悲しさはよく知っている。そんなものを説明しようとするのが表現するということだろうか? 他者から説明図を使ってわざわざ説明してもらわなくても、阪神間に住む人はよく知っている。では、阪神地区以外の人たちは、震災の何かを感じ取ろうとしてこれらの作品を見るだろうか? そんなものを見るより、テレビの報道番組を見る方が何倍も何百倍もよく分かるのではないだろうか?
 私はこんな愚かな展覧会に作品を出品しようとは思わなかった。それでは、画家である私は、その時にどう感じていたのか?
 当時、震災の写真展がよく開かれた。震災を描いた展覧会もよく開かれた。震災に遭わなかった地域から「はげまそう」などと言って、あまりはやっていない歌い手たちがやってきてコンサートも開かれた。アマチュアのコンサートもよく開かれた。それは、地震にかこつけなければ展覧会はできなかっただろうし、コンサートは開けなかっただろう、と思われるレベルだった。私は、これらすべてを「地震大好き展覧会」とか「地震大好きコンサート」と言って軽蔑していた。 作家が、アーティストが震災を見つめるとは、こんな馬鹿なことをすることではない。(唯一の例外は「ボザール・トリオ」だった。彼らは、韓国のコンサートの直後、来日予定を1日早めて西宮に来てくれた。ピアノのプレスラー氏は、 近くの幼稚園から運び込まれた調律のあやしいアップライトピアノを試しに弾いて、にこにこしながら「これで充分」という表情を見せ、3人ですばらしいベートーヴェンを聴かせてくれた。彼らにしかできない世界最高のものを聴かせてくれた。感謝している。)
 もっと生きたかったのに、死んでいった人たちが大勢いる。もっと色んなことをしたかったのに、せずに終わってしまった人が大勢いる。私は私のすべきことをしっかりとしようと感じたことが、この地震に遭遇したという証なのではないのか?
 私は私の静物画をしっかりと描く。私の人物画をしっかりと描く。そこには、震災を思わせるような何かはまったく描かれていない。震災以前よりももっと強固に、静物が、人物が、信念を持って描かれているだけである。言うなれば、これが私の「震災作品」である。それこそが、本当に震災後の今を生きているリアリティーである。リアリティーは説明図ではない。今を生きていて自ずと出てくるだけもので、それをあえて表現して見せようとするのは、ただの説明でしかない。
 さて、2002年「両洋の眼」展について書いてみたい。
 私は、2002年の6月に兵庫県の尼崎市総合文化センターでこの展覧会を鑑賞した。今回の展覧会には、ニューヨークで起きたテロ事件を描いたと思われる作品が数点あった。会場の入り口にパネルにして掛けられている文章の中でも、美術評論家の瀧悌三氏はこれらの作品について触れ、「現代意識の強い作家の集団だから、当然のことが起こった」とし、「作品に感動」している。
 その、テロを描いたひとつに福田美蘭の作品がある。福田美蘭は、そのスナップ写真を模した作品の中で、ブッシュ大統領と話をするキリストを描き、背景に今まさに炎上する貿易センタービルを描いている。
 美術や芸術をするということは、私は自分が今生きているリアリティーを見つめることだと思っている。あのニューヨークで起きたテロ事件については、私はテレビを通じてしか知らない。テレビを見て知るというのは、木村拓也演じる主人公が恋人と会うのを目撃するのとまったく同じ知り方なのだ。食事をしながら、ビールを飲みながら知ったことなのだ。私の知り合いに貿易センタービルで死んだ人はいない。知り合いの知り合いの知り合いくらいまでたどっても、 あの事件に直接接した人はいない。つまり私には、あの事件に対してリアルに関わるすべはないということだ。私にとって貿易センタービルの崩壊はテレビ映像でしかない。たとえそれが衝撃的な事実であったとしても、西宮にいてそのことを知っただけの私には、 その事件に今を生きるリアリティーを感じる事はできない。それが作品になるのなら、木村拓也と恋人も衝撃的に絵にしなければならないのではないか。事実であったとしても、食事をしながらビールを飲みながら、食卓の向こうの四角い箱を眺めていて知ったようなことに、今を生きるリアリティーを感じてはいけない。その衝撃の大きさや事実の重さの問題ではなく、自分にとって真実と言えないものを、作品に投影などさせはいけないと思う。
 キリストについても、私は同様のことを感じる。2000年かかって美化され、神化されてしまった伝説に、今を生きる私たちにとってのリアリティーはないと思う。もちろん福田美蘭は記号として扱っているのはわかっている。表現材料という意味では、絵はすべて記号だということになる。福田美蘭は、そんなわかりきった「絵画は記号だ」ということを主張したいがために、「キリスト」「ブッシュ」「貿易センタービル」と、記号を羅列してみせる。 私は、たとえテーブルの上に置かれた静物を描いた絵でも、目が何を認識したかではなく、らしさを表現するために記憶と知識で描かれた絵をさして「説明図」と言うのだが、この絵は「絵は記号である」ということの説明図だ。もうとっくにわかっているはずのことを、今さら説明などしてほしくはない。
 瀧悌三氏は、パネルに書かれた文章をこう結ぶ。「『両洋の眼』展は美術運動である。…ナウな問題と向き合っているのがいい。」と。
 ニューヨークをあえて「紐育」と書く人が、「ナウな問題」とは…。正直なところ、私はこの文章を読んでその感覚のずれにあきれ果ててしまった。
 たまたまこの展覧会を見た数日後に、テレビのあるバラエティー番組で「死語」といえばどんな言葉をいちばんに思い浮かべるか、というのをやっていた。その出演者のひとりが「ナウい」という「死語」を書いたところ、司会者は笑いながら「それは古すぎるだろう。もう誰も知らなくて、死語にも入らない」と言った。
 その「死語」にもならないほど古い言葉を、その言葉がはやった30年ほど前なら軽蔑して使わなかっただろうと思われる瀧悌三氏が、「現代意識の強い」ことの良さを強調しようと、自分が新しい言葉に対しても敏感なんだというアピールとともに、わざわざ使ったふしがある。何という遅れた時代感覚だろうか。氏の現代意識が少なくとも30年は遅れていることをこれによって露呈してしまった。それどころか「時事に関わるこの種のメッセージ画」を真剣に議論し肯定しているあたりを読むと、まるで19世紀だ。 今を生きるリアリティーを真摯に見つめる私たち作家が、こんな時代遅れの美術評論家に評価を委ねて、その挙動に一喜一憂せねばならないとは、何と情けないことだろう。

2002年7月 大西弘幸

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