第4回 眼で考える
映画から画家の眼について、話は尽きない♪

(西宮美術研究所にて2001年3月20日)
山下
最近、影響受けた、ロペスが出てる
「マルメロの陽光」を見て、今、
モチーフが植物なんですけど、
この存在って「わからないもの」なんですよ。
 
最初、先生が「人はわかりあえない」んじゃ
ないか、という話しとも繋がるのかもしれない
ですけど、先生が今、一番面白いモチーフ
って、人間じゃないですか。
人間を描く面白さというか、その辺はどう
思っているんですか。

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大西
えーとね、本質的なところはわからないので、
枝葉から言うと……。
今来てもらってるモデルさんに、
チェロを持ってもらって描いてみた。
クロッキー程度なんだけど。
そうすると、描きながら思うのが、
チェロは、形崩せないのよね、
いわば機械だから。
人間の方を、ムーブマン重視で描いて行くと
ズレがでるの。
それで、何で人物描きたいのかって言うこと
になるんだけど……。
 
たとえば石膏像なんか描くと、嫌でも正確に
描くのよね。

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山下
ハハ(笑い)

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大西
実はしんどいんよ。しんどいけど、できない
かって言ったら、できる。
人間を描くと、それより大事なもの、つまり
正確さよりも大事なものを優先できる。
それで描いているのかもしれんな……。
物凄いテクニック的な話やけど。

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山下
意外と邪魔させてる部分をとっぱらえる。

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大西
そう、徹底して見てしまうって部分がね。
まず、人間だと20分ポーズをしたら、
次の20分って変わってる訳やんか、そうすると、
写真的な正確さを求めてもしょうがない。
ムーブマンとかっていう、何か本質的なものを、
先に捕らええなければいけないことになる。
石膏像とかだと、逆でもできるのよ。
目から描いていってもできあがる。

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山下
先生、そういうのを面白がってやるとこ、
ありますもんね。

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大西
うん、そういう意味で言うと、
自分の欠点が人物では比較的出にくい
っていうのがあるな。
欠点って、うっかり言ってしまったけど。
(笑い)

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山下
多分、欠点なんでしょう。(笑い)

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大西
いやあ(笑い)ある意味で欠点だと思う。
自分の武器ではあるんだけど、
武器は同時に欠点でもあるっていうのは、
どっかでわかってるのよね。
ものを徹底的に描けるというのが、
武器であり欠点でもあるならば、
欠点としては出にくく、
長所だけが残りやすいのは人物なんよ。

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山下
僕は先生の仕事で、人物のドローイングが、
一番ね見てて凄いなー思いますからね。

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大西
そうやね(笑い)

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山下
あれはねー、まいったって感じなんですよ。
(笑い)
普段の静物とか、かっちりめのタブロー見て
るんですけど、一番「ありゃー」と思うのは
ドローイングなんですよ。
何で、そう思うのかって言ったら、
1分なら1分、3分なら3分の、
先生の目がそこにあるじゃないですか。
それが、3分見たって跡が、
明確に残るじゃないですか。
 
僕は、植物描いてて思うんですけど、
そこに居る時間の見方が、出ないとだめだと
思うんですよ。
「わかるもの」じゃなくて「わからないもの」
単純に動くからとか、体調がどうとか、
いうのもあるんですけど、
「わからないもの」を選ぶことで何というか、
一歩前に出ざるをえないっていうのが、
そうさせてるのかなと思うんです。

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大西
うん。今のところ、あんまり人間がモチーフ
だからどうだという思い込みではなくて、
自分のデッサン力なり長所が一番出やすい気が
してるだけ、人間を描くことが。
モデルを捕まえれれば、
できるだけ人物描きたいなと思っているん
だけどね。
無理なときは仕方がないから静物描くことも
あるだろうけど、そのくらいじゃないかな
正直言うと。
 
ひょっとしたら、最初の宗教の話じゃないけど、
そこに人間への何かがあるのかも知れない
けれど、そんなものは、あったら出るし、
無かったら出ないし。テーマは、あえて持って
くるものじゃないし。(笑い)

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山下
そうですよね、そういうところはあると思います。

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大西
我々がやっとることは絵画であって、
テーマじゃないからね。(笑い)

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山下
多分人間描いていくと言われますよ。

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大西
そういう時は誰かみたいに「テーマは愛だ」
と言っていればすむことだし。(笑い)

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山下
なるほど。(笑い)
 
「視る」って言葉になるんですけど、
先生にとって「視る」っていうのは、
「眼」って……。
昔から非常に「私は眼だ」っていうようなこと
言われてきたと思うんですけど。
ずーと、その意見って、
わからなかったんですよ。

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大西
うーん、でしょうな。

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山下
「そんな訳ないだろう」って考えるし、
「眼」だけって色々なこと思うだろー、
と思ってたんだけど。
最近ねー、何かね〜。(笑い)

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大西
(笑い)

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山下
ありなんじゃないかなーと、ちょっと思うんです。
今、植物描いてて「マルメロの陽光」って映画
の影響されてるってところもあるんですけど。
僕って芝居好きで、制作に対しても、
「画家という役を生きる」って言うと大袈裟
だけど、学生の頃とか思ってて。
何故かと考えると、自分の中に制作に対する
不安があって、どう行動したらいいのか、
方法ばっかり求めていて、
そこに画家像の見本として「マルメロの陽光」の
ロペスを見ていたんだと思うんです。
で、実際に制作して行くと、そういうものも
邪魔になってるなと思ったんです。
 
結局、そこに座って、植物見て、そこに眼が
あって絵を描く、それだけで良いのかなと
なったんです。
先生の言う「眼」と今話した「眼」は違うかも
しれないんですけど、いつ頃から「私は眼だ」
ってなったんですか。

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大西
多分、音楽の影響が大きいんだろうなーと思う。
他の分野、演劇でもそうだろうけども……。
他の分野でできることを意識すると、
絵画は絵画にしかできないものを
って考えるのよ。
音楽は聴く分野、つまり「耳」の分野。
演劇は「言葉」と「身体」の分野で……。
文学は、純粋に「言語」「文字」だけの分野。
じゃあ、絵画はって言うと、「眼」だなと。
 
「眼で考える」って言うのかな、言葉で考えたら
多分、言葉の世界の奴に負けるんだろうな
と思って……。
負けるからとかいう問題じゃないんだけど、
絵画って「眼で考える分野」だと思うんのよ。
だから「眼だけで考えたら」面白いなーって。
何時から思ってるのか、今、思ったのか
わからないけど、そんな気がする。
 
「眼」で考えようとしてるんだと思うよ。
眼で見て、色んなこと思う訳やんか、
色とか角度とか、色々思うんやけど、
それを言葉化しないで、そのまんま考えている。
それを言葉で説明すると「私は眼だ」って
言い方になるのかな。

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山下
「説明的でないもの」ということですよね。
「説明」と言うと、眼で見たものを言葉化する、
という意味もある思うんですよ。
 
そうすると、世の中「説明」だらけということ
にもなって、そんな中で「説明的でない眼」
っていうのを絵画として定着させるって、
ある意味凄いことだろな〜、と思うんです。
 
先生のクロッキーとかは、それに近いところ
があるんじゃないかと思うんです。
でも、それが作品かって言うと、少し違うと
思うんです。
そこで、先生が人物を描いて発見したものに
ついては……。

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大西
「眼で思考していく」「眼でものを考える過程を
定着していく」ってことだと思うねん。
絵画でも、ほとんどの人は言葉で考えている
気がする。

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山下
思うところはあります。

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